演劇のお医者さん(若林医院)

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2010年 12月 28日

■第35回四国ブロック大会・審査

【日時】2010.12/25,26 
【場所】香川県宇多津町・ユープラザうたづハーモニーホール
【大会名】第35回四国地区高等学校演劇研究大会

■■【講評内容】
ミステリアスな四国の地で、素晴らしい9校の芝居を見せてもらった。
以下、どう直したらもっといい芝居になるかという視点で、私なりにあえて悪口だけ書かせてもらった。次の芝居づくりへの励ましとなればありがたい・・・。

■【上演1】香川県立坂出高校  塚原政司/作「てんぷら

c0209544_23152615.jpg 「別れ」という非日常を、日常的な会話で包み込み、それでもこぼれ落ちる女子高校生の不安感を表現しようとした芝居。ある意味定番の等身大の芝居。いい感じに表現されていたと思う。しかし、その表現が小さくて客席のこちら側に落ちてこなかった。それは必ずしも声の大きさだけではなく、役者の気持ちを含めて、表現そのものが小さかったからだ。演劇部はだいたい教室などの狭い場所での練習を強いられるのが普通だが、大会前、大きい会場を意識して声を張って練習していても、結局はその部屋の響きに耳が慣れてしまうので、失敗するケースが多い。会話をもっと弾ませて、心の内側から盛り上げて、やがて友達との時間の儚さがこぼれ出す感じになるといいのだが・・・。
舞台装置も照明でエリアに切ったことと、それに沿って前部と側面におかれた冷蔵庫や本棚も、舞台を小さく閉じてしまっていたように思う。ドアの開閉の時、役者が無造作に袖幕に触れたり、照明エリアの外に出てモップ(?)を使っていた。こういう繊細な感情を表現しようとするのであれば、もう少し細かい神経が必要だと思う。
秋子の存在が謎めいていて、笑いだけでなく、その処理にもう一つ工夫があればと思った。思い切って、天使のような存在と考えて演出する手もありかなとも思われた。


■【上演2】愛媛県立伊予高校  篠原こうめ/作「始発列車を待ちながら

c0209544_23164615.jpg 終電から始発までの夜の駅舎に居合わせた6人が、様々な悩みを吐露する中で、ある種の共同体意識が産まれていく。最後赤ちゃんの出産というドラマチックな出来事で終わりになるわけだが、しかし不思議にもドラマを感じなかった。それは6人の悩みがそれぞれパラレルに語られるだけ。もっとそれぞれが有機的に絡み合ってくると、なにがしかの新しいエネルギーが立ち上ってくると思う。また、そのモノローグ的な長台詞は、役者のカラダから必然的に出てくるものではなく、ほとんど作者の生な言葉であった。また妊婦の回想シーンは、あの処理では観客はすんなり回想には入れない。例えば、駅舎のみんなが眠りについて(一斉に寝るのも段取りのような気がした)妊婦のみすずだけ眠れないのでフッと舞台中央に出てきたとき、彼女に単サスがあたり、フッと上手に何かを発見したとき、上手に単サスが入り、夫の姿が浮き上がるような処理でないと、観客には違和感が残るだろう。思い切って夫を現実の舞台上に出させて、他の登場人物とぶつけてみるほうが、確実にドラマになったかもしれない。
 全体的に「台本の都合」で進行しているように思えた。男が遠くから、しかも暗がりから初対面の女性に向かって「そっちに行ってもいいですか」とは多分言わないだろうし、言われた女性はどう思うのだろうか? また二人の大人が、食料を持ってる若者に「そっちに行ってもいい?」とも言わないだろう。またそもそも初対面の人達が最初からそんなに自分のことを他人におしゃべりしないだろう。もっと「役者の都合」でしゃべってもらいたかった。ラスト近く、みすずが(夫に)「合わない方がいい」といったのは何故なのか、最後まで解らなかった。これを解らせなければみすずの悲しみは伝わらないのでは・・・。
装置は全体的に中途半端だった。工夫すればもっとよくなるはずだ。みすずのセリフはよかったが、全体的に「シャクリ台詞」が多く、聞き取りずらかった。


■【上演3】徳島県立城南高校  善本洋之/作「餓武羅

c0209544_23173827.jpg ゲームの戦いを容易に想像できる、めくるめく戦いの世界。登場人物が次々に死に、再生し、繰り広げられる一大活劇とでも言おうか。私は子供の頃見た3本立て50円の東映時代劇を思い出した。「月影城の戦い」とか「登場・怪傑・・・頭巾」などという1時間ほどの続き物の時代劇にドキドキして見入ったものだった。
顧問も生徒もホントにやりたくてやってると思われた。だからよそから文句をつける必要は何もない。どんどんやってもらいたいものだ。
ただしこの劇は、「お芝居」であっても「演劇」ではない。少なくとも役者の全存在のコミュニケーションを大事にして創り上げるのが「演劇」で、これをわかってやる分には、である。(なので、このチームが「演劇」の快楽を一度味わったらどうなるだろう、という興味がなくはない)
どうせなら、最初から堅苦しいテーマなど追わない物語の世界の方がいいのでは。しかも演出も装置ももっと過剰にやって欲しかった。工夫し、訓練すれば、もっと見るだけでワクワクする装置を立てることは十出来るはず。日下部城を舞台上に創ってしまうくらいの気合いが欲しかった。中途半端な省略装置ではこのばかばかしい挑戦が泣く。「欽ちゃんの仮装大賞」程度の工夫では面白くない。いろいろな意味でもっと大きなエネルギーを表出できると思った。 


■【上演4】高知・土佐高校 橋田奈々/作「まりんちゃんがいなくなるまえに

c0209544_23183142.jpg友人の死を受け止めようとする女子高校生たちのこころの揺らぎみたいなものを表現しようとした芝居。まずは作、演出、役者をこなした部長の橋田奈々さんに拍手。
高校生の等身大の表現は心地よかった。しかし友人の死を受け止めきれず、妙に明るくなったり、悲しくなったりする「感情の揺れ」「不器用な青春の感受性」が今ひとつこちらにこぼれてこなかった。友人の死は自分の死の恐れでもある。それをもう少し突き詰めて表現してくれると、この芝居はずっとよくなるはずだ。
上手の浜田が隠れる木は、照明で処理するのではなく、バランスの上でも、実際に高い木が欲しかった。離れが省略装置なので、尻込みしたのかもしれないが、工夫すれば、省略の大きな木もありかもしれない。あるいは庭によくあるテーブルや椅子でもよかったかもしれない。
部屋の本棚はきれいすぎ。ホリゾントに大きな入道雲はどうか? 蝉の声とともに、「死」に対する「生」の象徴としていけるのでは・・・。
声もよく、会話も自然で、相手に入っていてよかったのだが、同じリズムすぎる。もっとメリハリがほしかった。蝉の声で全員がストップするところ(3カ所?)は、もっと自然に。美和(姉)の何回かの登場は、なにげに芝居の厚みを増す大事なポイントだと思う。妹の死の悲しさと3人を見る温かさみたいなものをもっとじっくり(3人を見すえて)表現して欲しかった。
浜田は初対面の3人にほとんど「お説教」してる感じだった。友達のいない浜田は、もっとトツトツと遠慮がちに訴えかけ、最後少しだけ無骨に怒る方が、浜田の悲しさの大きさが表現出来たかもしれない。3人だけでなく、浜田や美和の立場にもっと立って演出して欲しかった。
「むかつくー」とか「なんか疲れたー」とか、「花火しようか」「遊ぼうや」などのセリフは日常性を破って、本音が表出する言葉。もっと大事に。小夏の「よーし、花火じゃ」は天国のまりんに聞こえるように・・・。


■【上演5】香川県立丸亀高校 豊嶋了子+演劇部員/作「たんさんすい

c0209544_23191093.jpg生徒と顧問が一緒になって元気のいい芝居をつくった。部のエネルギーがそのまま伝わってきた、そういう意味では好感度の高い芝居だった。
ただし、終わって観客席には何も落ちてこなかった。ただ「3組でイロイロ悩んだ高校生活は、でも素晴らしい青春だった。さあ出発だ~」と舞台から言われたという印象。ミュージカル風に卒業式の呼びかけを聞かされたという印象が残った。
多分、台本に問題があると思う。みんな好人物で芝居の主軸となる「葛藤」がないのだ。それを漫画チックな演技で色づけしただけなので、全体としては一つのモノローグを聞いた、風景を見た、という感じになってしまった。人間世界にはもっと光や影や傷の陰影というものがあり、それが生きることの辛さや面白さになっているのだが、そこを掘り下げて、高校生の存在を丸ごと感じたかった。
セリフも演技も、相手に入れることよりも、観客に入れようとしていた。高校演劇部特有なシャクリという奇妙なクセがあり、内側から沸き起こる感情を充分表現されないまま、ただ言い合っている感じだった。相手に入らないセリフは、どんなに大きな声を出しても、芝居としてのエネルギーを産まない。
狭いところで練習したからなのか、動線、動きのデッサンも狂っていた。
下手前の颯真の机の向きは逆。顔を客席に向けて欲しい。最後ピアノにはもっと光を当てて欲しかった。正面上部の壁は微妙にもう少し汚した方が教室の感じが出ると思う。
女生徒はキャラや衣装でもっと区別感が欲しかった。


■【上演6】愛媛県立川之江高校 越智優/作「ナオキ

c0209544_23195977.jpg 自転車の修理代を求めて、「ナオキ」という高校生を探し訪ねている「藤野」という高校生が、実は探している「ナオキ」は自分だったと判る話。最初から「これは夢です」とネタバラシして始まり、最後「理由もなく、結末もなく、突然、悲惨なことに巻き込まれて抜け出すことができない。人生とは時には悪い夢のようなものです」で終わる。
 幼児の時に性的虐待を受けた人が、「これはホントの自分じゃない」と無意識に考えて別な人格を容易につくってしまう多重人格をすぐイメージした。現実的には分裂した自我ながら、その人にとって一つ一つの人格はリアルな現実なのだ。
 この台本はよくできていて、こういう手もあるのかと思い、刺激的な本だった。ただ、終始夢というネタバラシの中で芝居が進むので、「ナオキが本人では?」ということはかなりの観客が想像ついてしまう。とすると、「ナオキ」の存在がバレることの事実はそんなにショッキングではなく、芝居が次第に捻れる捻れ方と、バレたときの藤野の存在の表現が大事になってくるような気がする。しかしそこの表現が不十分だったような気がする。
 また。夢であるからこその、逆に芝居の手触りのリアルさが不十分だった。役者の声はおおむねよく、よく練習を積んだ事が判った。しかし大嶋さん以外は、微妙にセリフが相手に入っていなかった。人物の距離感、関係性も弱いように感じた。「ちわー」と教室に入る入り方。初対面の先輩との会話の入り方。そもそも藤野にナオキを「本当に探したい感」そのものが感じられなかった。
とても練習を積んで、洗練され計算された舞台になっていたし、完成度もあった。だがこちらに伝わってくるはずの自然な表現のエネルギーが伝わってこない。終始舞台と客席の距離を感じさせられていた感があった。素直に感動できなかった。これは一体何んだろう。台本もいいし、演出も優れていて、練習も充分積んでいる。ただ多分だからこそ、それに見合うだけの役者側から立ち上る感情のエネルギーが足らなかったのかもしれない。創られすぎたものを見た感じ。もっと役者を解放させ、演出の形からこぼれてくる役者の思いを改めて組織すれば、素晴らしい芝居になったような気がする。


■【上演7】徳島県立海部高校 吉田道雄/作「ジャムにいさん

c0209544_23205333.jpg 海の近くの民宿(旅館)の3Dに夢中な跡取り息子(ジャム)が、メタな意識の旅に出る。いろいろな工夫がなされ、芝居心満載の芝居になった。
 しかし、「メタな虚構に犯されたこの世界に美しい世界を復活させるのだ!」的な心意気が舞台上で空回りするだけで、観客席に落ちてくるものが無かった。「物語が壊れた」「現実に物語が入り込んできた」「物語の上にメタ物語があるか」「痛みを取り戻せ」「美しい犠牲の物語を取り戻せ」などの言葉が乱立するが、ただ言葉だけが単独に発せられ、場面毎の関係性が解らないので、こちらにはメッセージが像を結ばなかった。どんなにイメージは飛躍してもいいのだが、ハッキリ解るなにがしかのリアルな足がかりが1つはあり、そこから物語が捻れていかないとこちらのイメージは動かない。すべて不確かではフェアーではない。全部他人に説明する必要はないのだが、「要するに私たちの芝居はこういう芝居だ」と自分たちに骨太に説明出来て、さらにそれをいったん活字にしてみんなで鍛えた方がいい。すべてが曖昧の中で終始すると、だだ甘い気分だけで終わってしまう。未分化で未消化なままで終わってしまう。論や説明や気分ではなく、ぶつかり合いの「ドラマ」を希求して欲しかった。
 少なくとも私には、観劇後「世界が醜く混ざり合っているのはジャムのおかげで、結局はジャムが<ルツボン>だった。要するにいつまでも虚構の世界に遊んでいてはいけない、ジャムおじさんになってしまうぞ」というベタなメッセージだけが頭に浮かんでいた。「時間」というテーマは落ちてこなかった。
 能舞台を意識した装置は面白かった。しかしだったら例えば全面黒塗りで抽象的な舞台にしても面白かったかも。上下への出入りの通路をもう少し工夫できなかったか?


■【上演8】高知県立春野高校 三島由紀夫/作「葵上

c0209544_23213482.jpg 深夜の病院で繰り広げられる、「女の情念」「愛の嫉妬」の一瞬の物語。精緻な演出とそれに答えた役者たちが、密度の濃い時間の流れ、集中度の高い時間を見せてくれた。それぞれ役者達は声も演技も素晴らしく、基礎練習を含めて、よく練習を積んだことがわかった。
 六条康子の存在感はバツグンだったが、押しが強すぎた感はぬぐえない。もう少し女の弱い哀れみを漂わせた方がかえって効果的だったのではと思った。それにしても最後の「天城越え」の熱唱はどうだったのだろうか?「歌詞」は確かにピッタリだが、それまで重厚によく形象化されていただけに、芝居の文体ががらり変わってしまい、目眩がした感じだった。それがネライだとしても、あまりにも不連続な表現で芝居を壊していた。芝居としての連続性を失わない演出もあったのでは・・・。おさえた演技のまま歌に入り、途中一、二カ所だけ感情をこぼすほどに興奮して歌い、また品を失わないように重厚かつ哀れを誘いながらおさえた歌で終わるやり方とか・・・・。少なくとも「ラストの怖さ」を弱めてしまった。結局芝居が終わって、精緻な演出と巧い役者の演技だけが印象として残り、芝居としての感動がこちらに落ちてこなかった。
また、様式的な物言いはどういう効果を狙ったのか?「感情を封じこめた様式」ならばいいのだが、「形だけの様式」は、途端にグロテスクな表現に陥ってしまう。
 ヨットの帆をイメージする紗幕の位置は、もっと奥でないと芝居を壊してしまう。バトンの位置で決まってしまうとしても、そこはもう気合いで工夫して欲しかった。
装置も綺麗で隙がなかった。しかし上手の花と下手の金魚と椅子の3つの位置は疑問だった。もう少し奥の方が気持ちよかった。<気持ちが良い>というのは大事な感覚だと思う。特に椅子はジャマだった。せっかくの演技を隠してしまう。花瓶には重厚な花台が欲しい。
 六条が忘れた黒い手袋をしっかり目立たせて欲しかった。もう少し窓の外を覗く演技が欲しい。電話の声をもっとリアルに籠もらせて欲しかった。
 
 
■【上演9】香川県立高松工芸高校 川田正明+演劇部/作「Stick Out

c0209544_23221264.jpg 寮にいる「さくら」が、暴走族から友達の父親を救うために仕組んだ大芝居。まず丁寧に作った寮の食堂とエネルギーある役者の演技で、芝居としての強度は充分の芝居であった。
 しかし、その「芝居の強度」の影で、こちらに一番大切な芝居としての「感動」は伝わらなかった。役者(演出)と台本に問題があると思う。
 役者の物言いは元気があっていいのだが、すべて「同じリズム」、「同じ間」で、一つ一つのセリフは元気なのに、全体として暗く重い芝居になってしまった。もっと若者は軽く疾走するリズム感をベースに、重いテーマをチラッとこぼす感じがいいのでは。
 また芝居が重くなったもう一つの原因は、ほとんどのセリフが相手に入っていなかったこと。演技は結局「誰に何を言いたいのか」だけなのだが、それが無かった。相手にセリフが入ると、役者はある種の「気持ちよさ」を感じる。入らないとどこか納得いかない「気持ち悪さ」が残るはず。ここら辺をクリアーすればもっと芝居が軽く弾んでくるはずだ。
 台本については、まず、さくらの「仕組んだ芝居」によって何が変わったか? それが
わからない。先生の気持ちの変化もわからせて欲しい。唐突感が否めない。不良達の気持ちの変化がわからない。諦めて去る時にはなんとしてもビデオを奪うだろう。さくらは彼等のお金を奪って授業料として唯に渡している(で、いいのかな?)が、それは大きな罪だろう。さくらは何にも悪いことをしてないのだが、他人を救うために自分が悪者におとしめられる事なんかなんとも思わない設定の方が、少々ベタだが感動は深まるだろう。考えたら楽器演奏は絶対必要なものではないはず。「クロロホルムだー」といいながらクロロホルムを嗅がせないだろう。また、不良達が自分たちの悪事をしゃべりすぎ。そんなにポロポロ素人に秘密をしゃべらないだろう。さくらが挑発してポロッとつい言ってしまう設定のほうがずっと面白いはず。
 つまり、芝居の(ドラマチックな)ストーリーの都合が主で、役者の存在が二の次になっているような気がする。また同じ意味で、一つ一つの道具立てがパラレルに配置されているだけなので、その結果却って逆にドラマ性が弱まってしまっている感じが否めない。例えば逆に「ライブ」と「さくらの企て」を必然的に結びつける手はないだろうか?
厳しいことを言ったかもしれない。でも全国大会を頑張って欲しい気持ちからで、他意はない。全国、ぜひいい芝居を・・・。
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by tetsubin5 | 2010-12-28 11:41
2010年 12月 19日

■浦和北高校演劇部

日時】12/18(土) 11:00~20:00
場所】浦和北高校・練習場
芝居】越智 優/作「さよなら小宮くん」
見学参加】阿部哲也(上尾南) 小宮正三(城北埼玉) 茂木美好(浦和南) 田中実(戸田翔陽) 山口寛子(浦和北) 田村安弘(浦和北)  浅田孝紀(学芸大附属) 佐竹純一(正智深谷) 松伏高校、浦和南高、正智深谷高
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■■【活動内容】
●いやあ~、9時間ぶっ通しの練習、ご苦労様でした。
楽しいとは言ってくれていても、疲れたことでしょう。
しかしどんどん芝居の線が創れていく喜びは、不思議な快感ですよね。文字通り自分のカラダで、時間と空間を創り上げていく喜びだから・・・・・。


先生方の感想はブログ【劇団トラアナ】にアップしてありまっせ~!

■■【感想】 鬼島栞(浦和北高・舞台監督)
▼毎度毎度お忙しい中、本日もまた北高まで足を運んで下さりありがとうございます。
今回若林先生から初めて「線」の話を聞いて劇がみるみる変わって行くのを目の前で感じ取れました。きっとそれは地区より中央、中央より関東…とレベルが上がっていったからだなと改めて実感しました(そりゃあ退化していたら元も子もないけど)

▼今までは役者が一つのセリフを発し、また別の役者がセリフを発する。それに動きや表情、時にはアドリブを加えて表現をしていたけれどそれでは何かが物足りないなと思っていました。それが今回教わった「線」なんだと分かりました。劇の「線」を際だたせることによって観てる人がが自然とそこに見入ることができ、スムーズに頭の中に入っていきます。この「線」をきちんと理解して普段の稽古で若林先生が来れない時でも指摘できるようになりたいです。


■■【感想】 富士縄(浦和北高・部長)
▼毎回のように指摘されている2フレーズ立て。わかっているけど、なかなかできず…
私はほとんど見ていたのですが、みんなの台詞がすんなりと聞こえて来て、劇が面白くなっていきました。見ているだけでもとても勉強になりました。
▼今日直していただいた所で台詞がきちんと立ったとき、とても快感で、自然に気持ちも入って来ました。この感覚をもっとたくさんの場面で、いや、すべての台詞で感じられるように、家での台詞練習でも2フレーズ立てに気を使っていきます。今日はありがとうございました

■■【感想】 大木(浦和北高・演出)
▼今日は一気にお芝居が変わったなあと思いました。
一人一人がイキイキしている瞬間が度々あって、そこはやっぱり見てて面白いし、ワクワクしました。
今日は課題点が具体的に見えた一日でした。今日はありがとうございました


■■【感想】 春田(浦和南高)
▼今日はご指導を見学させていただき、ありがとうございました。
若林先生の指導はいつも分かりやすく、私たちが表現出来ない所も上手に表現してくれて、本当に凄いと改めて思いました。
浦和北高校のみなさんは元々演技が上手かったのですが、若林先生の力でさらに上手になったと思います。私達も今日の見学を参考に次回の演劇も頑張りたいと思います。
今日は本当にありがとうございました
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by tetsubin5 | 2010-12-19 20:46